この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。(エペソ人への手紙1章7節)

1.ルカの福音書5章17節ー25節
2.使徒の働き13章34節ー38節
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.コロサイ人への手紙1章13節ー14節

スピード違反をしても、白バイや覆面パトカーに捕まらない限り点数をつけられ罰金を払う必要はありませんが、人身事故や犯罪を犯して逮捕されると、裁判にかけられ有罪判決が下されると刑期が終わるまで刑に服することが課せられるように、この世には見逃されている罪と見逃されない罪があります。しかし、神は人の目にも認められる罪だけでなく、人の心と思いを読み取られる方で(詩篇139篇2節)、人の目に隠されている罪をも暴かれる方であり、罪と妥協したり、罪を見逃す事をされないで方です。ですから、ダビデは「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたは赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。(詩篇130篇3節―4節)」と、すべての人はこの世を去るまで罪を積み上げながら生きているためすべての者は罪人であり、だれも神の前に立つことができない存在であることを指摘する一方、律法学者やパリサイ人たちも知っていたように(ルカの福音書5章21節)、神は罪を赦すことのできる方であることを語っています。あわれみ豊かな神は、罪人を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、罪の代価を十字架で支払ってくださり、罪の解決を与えられただけでなく、天国への道を開かれたのでした(ヨハネの福音書14章6節)。イザヤ書43章4節に贖われた者(イザヤ書43章1節)は神の目には、高価で尊い存在であることを語っていますが、罪から来る報酬が死であるにもかかわらず、驚くべきことに詩篇116篇15節は「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」と、贖われた者の死さえも主の目に尊い、と語っています。今日のみことば「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」を心に据えて、パウロが「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と語っているように、自分の心に自分を責めるような思いが起こってきた時など、恵みの座で心のうちを正直に申し上げて、十字架で示された神の恵みから落ちないように歩もうではありませんか。