いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章63節)
1.マタイの福音書4章1節―4節
2.ローマ人への手紙8章3節―13節
3.コリント人への手紙 第二3章6節―17節
御霊に満たされたイエス様は悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれ、四十日四十夜断食をした後、空腹を覚えられると、悪魔は「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言ったのですが、イエス様は「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と、イエス様にとって不可能なことは何もありませんが、悪魔の誘いにのるようなことはせず、悪魔のことばをみことばをもって否定し、悪魔の指示に従わなかったのでした。しかし、善悪の知識の木から取って食べないように、神の警告をアダムは直接聞いていたにも関わらず、悪魔のことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたエバの声に聞き従って食べたことによって神が仰せられたように、人類に死が臨むことになってしまったのでした。しかも、聖書が教える「死」は、まず、善悪の木から取ってたべてもすぐに死んだのではなく、エバはアダムに与え、アダムも食べたことによって悪魔が言ったように、二人の目は開き自分たちが裸であることを知り、自分たちの考えでイチジクの葉をつづり合わせて腰のおおいを作り、神である主の声を聞くと、園の木の間に隠れたように、まず、彼らに臨んだ死は、霊的な死であり、やがて肉体が衰えて肉体の死を迎えますが、すべての人はよみがえってこの世で生きていた時のすべての罪が明らかにされ、悪魔やにせ預言者たちと、昼も夜も永遠に苦しみ続ける永遠の死を教えています。肉体の死は、キリスト者でも同じように迎えますが、イエス様を信じることによって聖霊が与えられ、霊が生き返り、死をもたらす全生涯の罪はイエス様によって完全に取り除かれているので、死後神から裁かれることはなく、永遠に神と共に御国で生き続けるのですが、その真理は、御国の福音を宣べ伝えてくださったイエス様によって明らかにされたのでした(マタイの福音書4章23節)。イエス様のことばである今日の聖句が「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」と語っているように、エバのように肉に生きるように仕向けてくる悪魔のささやきや人のことばに惑わされないように、肉の思いに支配されないように、御霊によって書かれた神のことばである聖書の教えに生きようではありませんか。