二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(マタイの福音書10章29節)

1.伝道者の書3章1節―11節
2.イザヤ書46章3節―11節
3.イザヤ書55章6節―11節
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいも、からだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と勧告されてから「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」と、神が主権者であることを話されました。ヨブ記の1章と2章において主はサタンがヨブを試みることを許されましたが、主はサタンに「ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。(ヨブ記1章12節)」と、「ただ彼のいのちには触れるな。」と命じられたので、ヨブを殺すことはできなかったのは、サタンは、元はルシファーと呼ばれた天使で、私たちと同じ被造物であり主権者ではないからです。サタンはヨブが全てのものを失えば、また彼自身が苦しめば神をのろうに違いない、と思って試みることを願い出たのですが、神はヨブのことをよくご存知でその願いを聞き入れたのでした。子供たちや全てものを失っても彼は「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と賛美のいけにえをささげ、自分が悪性の腫物で苦しみながらも「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない。」と、罪を犯すようなことを口にしなかったのは神が主権者であることをわきまえていたからではないでしょうか。パウロは「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」と勧めてから「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、 力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と語っているように、悪魔の試みにあった時、神が主権者であり、神の許しなしに悪魔は私たちを試みることができないだけでなく、神の許された範囲内だけでしか試みることができないことを、パウロが「耐えられないほどの試練に合わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」と語っているように、私たちは自分では耐えられない、と思いがちですが、神は私たちのことを私たち以上によくご存知であることを、サタンや悪魔に目を向けるのではなく、ペテロが三度イエス様を知らないと言うことをご存知で信仰がなくならないように祈られ、父から与えられた使命に生きられ十字架の死にまで従順であったイエス様を仰ぎ見て、イエス様やヨブのように主権者は神であることを忘れないように、正しい信仰を与えてくださるように願い、祈ろうではありませんか。