知者はどこにいるのですか、学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神はこの世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうとされたのです。(コリント人への手紙第一1章20節―21節)
1.イザヤ書44章6節―28節
2.ヨハネの福音書1章1節―18節
3. ヨハネの福音書3章16節―21節
4.ローマ人への手紙1章16節―25節
正確に覚えていないのですが、あるコメンテーターの方が先日ノーベル賞をいただいた硤合憲三さんの研究は人類誕生を解明することに貢献するようなことを話しておられたように、いまだに科学の力では人類誕生や地球誕生を解き明かすことができないばかりか、地球以外で人が生きる惑星があるかないかを模索していますが、パウロが「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章21節―23節)」と、語っているように、人は神の存在を潜在的に知っていがゆえに、知識人であっても目があっても 見えず、足があっても歩けず、人に運ばれるとその場所から動けないような人の手によって造られた偶像崇拝をすることによって敬虔さを満足させるような生き方をしているのではないでしょうか。パウロが「知者はどこにいるのですか、学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神はこの世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうとされたのです。」と語っているように、人の知恵や能力は根本的な問題、すなわち神がどのような方なのかを知ることやどんなに医学が進んでも死の解決をもたらすことができないものであることを心に据えて人々の心の目が開かれ、罪人を救うために聖霊によってマリアにやどり人としてご降誕された、天地万物を創造された神であるイエスを信じる信仰が与えられるように祈ろうではありませんか。