まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。(申命記4章7節)
1.出エジプト記33章12節―16節
2.マタイの福音書28章16節―20節
3.ヨハネの福音書14章16節―26節
4.ローマ人への手紙8章22節―39節
この世には多くの神と言われる神々が、ときには立山信仰のように神が創造された山を御神体として拝むことが信仰と思いがちですが、主は「私をだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。」と語ってから「このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。」と、励ましておられます。主はエジプトにおいてだけでなく、前方には紅海、後方からエジプト軍が迫って来て四面楚歌のような状態において紅海を二つに分けられエジプト軍から救われただけでなく荒野を旅する時には夜は火の柱、昼は雲の柱をもって常に民とともにおられただけでなく、マナやうずらを与えられ養われたのでした。ですから、モーセは「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。」と、民に語ったのではないでしょうか。パウロは、キリスト者は神の子とされており、聖霊が与えられており、神に「アバ、父」と呼ぶことができることを語っています。私たちの神は、私たちが世話をしなくてはいけないような人に手によって造られた偶像ではなく、私たちの祈りをお聴きくださるだけでなく、私たちを守り、導き、祝福してくださる方であることを忘れないように心がけようではありませんか。