あなたがといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。(コリント人への手紙第一2章3節ー4節)

1.使徒の働き1章4節ー8節
2.使徒の働き2章1節ー41節
3.コリント人への手紙第二12章1節ー9節
4.エペソ人への手紙1章5節ー19節

第三の天、パラダイスに引き上げられ啓示を受けたパウロに、その啓示があまりにもすばらしかったので、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげが与えられましたが、それはサタンの使いでしたので、それ去らせてくださるように三度主に願ったのですが、主が「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と仰せられたように、パウロは「私はパウロにつく」「私はアポロに」と「私」に生き、仲間割れをし、肉に生きていたコリントの教会に行った時の状態を「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおのの

いていました。」と語りましたが、主が仰せられたように「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」と証しされましたが、その前に、ヘブル人への手紙12章2節ー3節が「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧めているように、「さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことにしたからです。」とイエス様に目を留めておられたことを告白されました。パウロのように弱さや恐れが襲ってきたら、パウロのように御霊を、力を与えてくださる主を仰ぎ見て生活するように心がけようではありませんか。