もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.コリント人への手紙15章50節ー58節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー4節

主はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」との警告を受けていたにもかかわらず、アダムが悪魔のいつわりのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたエバの声に聞き従って食べてしまったために人類に死が臨むことになったのですが、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架で罪に対する神の怒りや罪に対する刑罰を受けてくださったのですが、パウロは「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と、「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と語っているように、イエス様が死からよみがえられたことによって、人は誰でも死にますが、イエス様を信じるなら、第二の死、すなわち、永遠に昼も夜も苦しみを受ける地獄に追いやる罪から完全に解放され(黙示録20章6節及び10節)、御国で永遠に生きることができる永遠のいのちが与えられるのです。ですから、キリスト者に与えらている信仰はむなしいものではなく、やがて主にお会いできるだけでなく、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない天国で永遠に生き続けるという希望に満ちたものであることを自覚し、主をほめたたえて生きようではありませんか。