そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝が捧げられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。( テモテへの手紙第一2章1節ー4節)
1.ルカの福音書18章1節ー5節
2. エペソ人への手紙2章1節ー10節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節
パウロは「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝が捧げられるようにしなさい。」と勧めてからその理由として「私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」と語るとともに「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」と語っているのは、私たちの祈りは第三の天におられる主のもとに届いていることを示唆しているのではないでしょうか。続けて「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と、人々が救われるだけでなく真理を知って欲しいという神の願いをハッキリと語っているのは、パウロが同胞のイスラエルに関して「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願いを求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。(ローマ人への手紙10章1節ー2節)」とイスラエルがイエス様につまずいた理由を語っていることに見られるのではないでしょうか。ペテロも「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一4章7節ー8節)」と勧めています。十字架のイエス様が人々のためにとりなして祈られたように、私たちも主は私たちの祈りをお聞きくださることを感謝し、人々が救われるように、真理を知ることができるように、キリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているこの世の神から解放されるように(コリント人への手紙第二4章4節)とりなして祈ろうではありませんか。
