あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて祈りなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブの手紙1章5節ー6節)

1.列王記第一3章3節ー12節
2. 詩篇66篇16節ー20節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節

神を愛していた時のソロモンは神が「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられると「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょう。」と、自分のことよりも王としての務めを果たすために、正しい判断をすることができるように判断力を求めたので、「今、わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」と約束されただけでなく、「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章11節)」と仰られたように、神の約束は必ず成就することを、同居しているふたりの遊女がそれぞれ子どもを産んだのにひとりの子どもが死んでしまったために、生きている子どもは自分の子だど言い張っているふたりにソロモンが「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」と話されると、殺さないように願った女性が母親であることが判明したのでした。神は私たちに何が必要なのかをご存じなだけでなく、ダビデが「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。(詩篇66篇18節ー19節)」と語っているように、主は確かに私たちの祈りをお聞きくださいます。今日の聖句が「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて祈りなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」と勧めているように、主が喜ばれるように生きるために、この世の知恵ではなく、イエス様が「私たちの日々の糧をきょうもお与えください。」と祈るように仰せられたように、日々神の知恵であるみことばを与えてくださるように祈ろうではありませんか。