私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイの福音書6章13節)
1.ルカの福音書4章1節ー15節
2.ルカの福音書22章31節ー62節
3.ヤコブの手紙1章2節ー4節
4.ペテロの手紙第一4章12節ー19節
ヤコブは「私の兄弟たち、さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。(ヤコブの手紙1章2節ー3節)」と、ペテロも「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。(ペテロの手紙第一 4章12節ー13節)」と、試みられることを語っているにもかかわらず、イエス様は「だから、こう祈りなさい。」と教えてくださった祈りの中で「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈るように勧めておられるのは私たちの弱さをよくご存知だからではないでしょうか。すでに創世記3章に出て来るように試みるものはイエス様をも試みた悪魔であることがわかります(マタイの福音書4章1節、ルカの福音書4章1 節)。エバは悪魔に試みに負けて善悪の知識の木から取って食べ、アダムに与えたためにアダムも罪犯したのでした。悪魔に勝利されたのはイエス様しかおられません。イエス様ご自身がゲッセマネの園で「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うところではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」と祈られたように、パウロは「あなたがたのあった試練は皆人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙第一10章13節)」と語っているように、「わたしが道であり、真理でありいのちなのです。」と仰せられたように、悪魔の試みや悪魔に勝利するために主に拠り頼んで生きるように示唆された祈りではないでしょうか。日々「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈って生活するように心がけようではありませんか。
