御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。(コリント人への手紙第一2章15節)

1.ヨハネの福音書14章22節ー26節
2.ヨハネの福音書16章12節ー15節
3.ローマ人への手紙12章2節ー3節
4.コリント人への手紙第一1章18節ー31節

リベルテンの会堂に属する人々でクレネ人、アレキサンドリア人、キリキヤやアジアから来た人々などが立ち上がって、恵みと力とに満ち、人々の間ですばらしい不思議なわざとしるしを行っていたステパノと議論したのですが、ステパノが知恵と御霊によって語っていたので、対抗することができなかったために、彼らはある人をそそのかして「私たちは彼がモーセと神をけがすことばを語っているのを聞いた」と言わせただけでなく、民衆と長老たち、律法学者たちを扇動してステパノを襲って捕らえ、議会にひっぱって行き偽りの証人たちを立てて「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、もセーが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」と言わせたので、大祭司が「そのとおりか」と尋ねると、ステパノは旧約聖書を引用してイスラエルの歴史を語るとともに、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエス様を見て「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」と言うと、人々は大声で叫びながら彼に石を投げて打ち殺したのですが、彼らが石を投げつていと、ステパノは驚くべきことに「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と、十字架上で人々のために執りなして祈られたイエス様のようですが、そのことを可能にしたのは、その時、サウロとも呼ばれたパウロはステパノを殺すことに賛成していたのですが(使徒の働き6章8節ー8章1節)、やがてキリスト者となり聖霊に満たされ、ステパノ同様に迫害されることになったパウロが「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」と語っているように、すべてのことをわきまえ知ることができるように教えてくださる御霊の働きによるのではないでしょうか(ヨハネの福音書14章26節)。