わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1章9節)
1.箴言3章3節ー7節
2.マタイの福音書28章18節ー20節
3.ローマ人への手紙8章28節ー39節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
イスラエルの民はモーセが亡くなったために泣き悲しんで三十日間喪に服していたのに、主はモーセが亡くなったことを知っていたヨシュアに「わたしのしもべモーセは死んだ。」とまず、仰せられてから「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」と命じられたのは、過去やモーセの存在にとらわれずに前進すべき時が来たことを示唆されたのではないでしょうか。ですから、その地がどれほどの広さかを具体的に仰せられてから「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と約束されてから「強くあれ、雄々しくあれ」と二度仰せられてから、三度目には「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」と仰せられてから再度「あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と仰せられたのでした(ヨシュア記1章2節ー9節)。主がともにいてくださることがわかっていても弱さを覚え、恐れたりすることが多々あるのではないでしょうか。あのパウロでさえコリントの教会に行った時、弱く恐れおののいていたことを告白していますが、イエス様のことを思って力を得たのでした。どんな時にもパウロのように神の力と神の知恵をいただくために、天においても地においてもいっさいの権威をもっておられ、恐れを締め出すことのできる全き愛である神の愛を十字架で示されたイエス様がともにいてくださることを忘れないようにしようではありませんか。