わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章39節ー40節)

1.マタイの福音書18章11節ー14節
2.ヨハネの福音書5章17節ー25節
3.ヨハネの福音書11章20節ー25節
4.ローマ人への手紙6章17節ー23節

神が人の心に永遠が与えられたために、人は死後のことを色々想像し、思案し、世界中に数えきれないほどの宗教が生まれましたが、それらの宗教はパウロが「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、」と語っているように人間の知恵、すなわち哲学であり、「キリストによるものではありません。」と語っているように神の知恵ではないことを指摘してから「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロサイ人への手紙2章8節ー9節)」と、神と宗教との違いをはっきり語っています。イエス様は人としてこの世の遣わされたので様々な宗教の教祖と同等に思われがちですが、イエス様は「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と、神のみこころをご存知なのは御子イエス様のみであり、死や永遠に対する答えと、「子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つ」と、イエス様を信じた者への永遠のいのちの保証を語っています。宗教の主体は「私=自分」になりますが、イエス様は「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが失うことなく、」と、主体が主であるので宗教の世界とは異なったもので、永遠のいのち、すなわち死後が保証されていることを喜んで生きようではありませんか。