神は、私たちが御怒りに会うようにお定になったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定になったからです。主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。(テサロニケへの手紙第一5章 9節ー10節)
1.イザヤ書43章1節ー13節
2.マタイの福音書28章18節ー20節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
キリスト者となり神のみこころをよくご存知な聖霊に満たされたパウロは「私たちも皆、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪禍の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのですーキリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ人への手紙2章3節ー6節)」と、イエス様を信じたことによって神の怒りから救われているだけでなく、イエス様が「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。(ヨハネの福音書14章16節ー17節)」と仰せられたように、今日の聖句が「。「神は、私たちが御怒りに会うようにお定になったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定になったからです。主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」と語っているように、イエス様が仰せられたように、キリスト者には真理の御霊、聖霊様が与えられていることを忘れずにどんな時にも主によって生かされていることを忘れないようにしようではありませんか