そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわにはいきません。」(使徒の働き4章18節ー19節)

1.マタイの福音書16章13節ー26節
2. 使徒の働き2章14節ー41節
3.ローマ人への手紙1章7節ー17節
4.コリント人への手紙第一2章7節ー16節

イエス様が、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始めると、ペテロが「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」とイエス様をいさめたので、イエス様は振り向いて「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と言われてしまいましたが、死からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロはヨハネと共に民を教え、イエス様のことを例にあげて復活を宣べ伝えたために捕えられ、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じられたのですが、ペテロとヨハネは彼らに「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわにはいきません。」と、答えたのでした。聖霊によって、また預言者によってエルサレムで苦しみに会うことをはっきり示されたパウロに対して弟子たちやルカ、その土地の民たちはエルサレムに行かないように忠告しましたが、パウロから「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか」と言われた彼らは「主のみこころのままに」と言って黙ってしまったのでした(使徒の働き20章22節及び21章4節ー14節)。主は私たちがどう思うと、パウロが神は耐えられない試練に会わせることはなさらない(コリントひとへの手紙第一10章13節)、と語っているのは、信仰により神の御力によって守られている状況下にあってのことであることを(ペテロの手紙第一1章5節ー8節)心に据えて肉の思いである情で物事を判断しないようにしようではありませんか。