私たちは、主を知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。(ホセア6章3節)

1.マタイの福音書28章18節-20節
2.ヨハネの福音書1章1節ー17節
3.ローマ人への手紙4章19節ー5章10節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー5節 

イザヤは「地を見ると、見よ、苦難とやみ、暗黒、追放された者。しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガラリヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」と語ってから「ひとりのみどり子が、私たちのために生まれる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者(英訳:素晴らしいカウンセラー)、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」とイエス様の御降誕を預言されました(イザヤ書8章22節ー9章2節及び6節)。パウロはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、彼らが待ち望んでいたメシアがイエス・キリストであることを知り、「さて兄弟たち。私があなたがのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがた間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したのは、あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と告白しているように、主がどのような方なのかを本当に知る者になられたのでした。「私たちは、主を知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」と主がどのような方であるかを深く知るように勧め、その理由として「主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」と語っているように、暁の光、すなわち暗やみを照らす光をもたらすことができ、心を潤し、実を結ぶ人生を与えてくださることのできる方は主以外におられないことを語っている今日のみことばをしっかり握って生きようではありませんか。