人はいったい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。父の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いを受けます。(マタイの福音書16章25節26節)

1.詩篇50篇1節ー20節
2.マタイの福音書25章31節ー46節
3.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
4.コリント人への手紙第二5章1節ー10節

イエス様は興味深いことに「人はいったい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」と、世の人々はこの世に目を向けて、この世のものを手に入れることに心を向けてしまいがちですが、「まことのいのち」、すなわちイエス様が与えてくださる永遠のいのちの重さを語るとともに(ヨハネの福音書10章10節及び28節)、「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」と仰せられてから「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私はあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け。』」と仰せられたように、父のみこころは御子イエス様を信じることであることからキリスト者は恵みによって救われており主は良い行いに歩むように良い行いも主が備えてくださってるだけでなく(エペソ人への手紙2章8節ー10節)、全生涯の罪や過ちを主は背負ってくださっただけでなく、日々罪に定められられないようにとりなしていてくださえるので、天において称賛を受けるのです。キリスト者には永遠のいのちが与えられ、天国が保障されていることを忘れないようにしようではありませんか。