十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(コリンと人への手紙第一1章18節)
1.マタイの福音書27章46節
2. マルコの福音書15章34節
3.ルカの福音書23章34節,43節,46節
4.ヨハネの福音書19章26節ー28節及び30節
パウロは「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」と、語っています。ハイドンの作品に「十字架上の7つの言葉」という曲があります。その7つのことばですが、イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ととりなして祈られ、イエス様に対する考えを変えた犯罪人に「まことに、、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束され死後の希望を与えられ(ルカの福音書23章34節、43節)、「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と母マリアに、「そこに、あなたの母がいます。」とヨハネに仰せられてご配慮、愛を示され(ヨハネの福音書19章26節ー27節)、「エリ、エリ、レマ、サバクタ二(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイの福音書27章46節、マルコの福音書15章34節)と「父」ではなく「神」と叫ばれ罪人の立場で神の裁きを受けましたが、聖書が成就するために「わたしは渇く」と仰せられてから「完了した。」と言われ(ヨハネの福音書 19章28節、30節)、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。(ルカの福音書23章46節)」と言って息を引き取られたのでした。イエス様の7つのひとつひとつのことばには人が必要な赦し、救いがもたらす希望、ご配慮と愛を示されただけでなく、父から与えられていた使命をご存知であっても私たちと同じように神に叫びましたが、みことばに生き勝利宣言をされ、最後に再び「父よ。」と呼びかけられ、三日目に死からよみがられることをご存じでしたので、父なる神を信頼して委ねられたのでした。主からの力を得るために十字架のひとつひとつのことばを噛み締めて生きようではありませんか。