「呼ばわれ」という声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、、みなのの花のようだ。主のいぶきがその上を吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。、草は枯れ、花はしぼむ、だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ書406節ー8節)

1.イザヤ書556節ー13
2. マタイの福音書243節ー35
3.ヨハネの福音書11節ー17
4.ペテロの手紙第一123節ー25

今日の聖句は「すべての人は草、その栄光は、、みなのの花のようだ。主のいぶきがその上を吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。、草は枯れ、花はしぼむ、だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」と、人と人がこの世で得ることのできる栄光のはかなさに比べて神のことばがどのようなものなのかを呼ばわる、すなわち人々が知るべきであることを主は命じられたのでした。ヨハネの福音書11節ー3節及び14節は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできた者は一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。···ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と、イエス様は神のことばであり、天地万物が創造される前から存在され、十字架の死と復活をもって神の栄光を現わされ、信じる者には永遠のいのちが与えられる永遠の世界を明らかにしてくださったのでした。人のことばは感情や状況によって変化しますが、神のことばは確かなものであり、確かな保証を与えるものであることを、信頼すべきものであることを心に据えて、恵みのみことばをしっかり握って生きるようにしようではありませんか。