義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。(詩篇45節)

1.箴言335節ー7節
2.伝道者の書713節ー17
3.マタイの福音書517節ー20
4.ピリピ人への手紙32節ー9

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるもの出ないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書520節)」と仰せらました。サウロとも呼ばれていたパウロはパリサイ人として生きていた時には律法により自分の義に生き、祭司長たちから権限を受けてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者を迫害するために向かっていたマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」とイエス様から声をかけられ、キリスト者となった彼は律法による自分の義ではなくキリストを信じる信仰によって与えられる神の義に生きる者となり、今日の聖句が「義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。」と語っているように「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても先走ってはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一44節ー5節)」と恵みの奥義を語っています。自分は正しいと自分の義や自分の思いで物事を判断するのではなく、恵みをむだにしないように、主に拠り頼んで生きるようにしようではありませんか。