愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(ヨハネの手紙第一4章18節ー19節)
1.イザヤ書43章1節ー4節
2.ヨハネの福音書5章24節ー34節
3.ローマ人への手紙8章23節ー39節
4.エペソ人への手紙3章2節ー19節
ギリシャ語に見る「愛」には「アガペ=十字架で示された全き神の愛」「フィレオ=友情」「ストルケ=親子や家族の愛」「エロス=男女間の愛情」と4種類の愛があります。ところで、イエス様がユダヤ人たちに「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。わたしは人から栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。(ヨハネの福音書5章39節ー40節)」と、またパウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章5節)」と語っているように、恐れを締め出すことのできる全き愛は、神の愛であり、それは聖霊によらなければ心に持つことができないのですからイエス様は欠くことのできない存在です。パウロが「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちはかみの子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。・・神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう(ローマ人への手紙8章15節ー16節及び31節)」と語っているように、人の愛は励まし合ったり、慰め合ったり出来ますが、恐れに陥れる霊から解放する力がありません。キリスト者はこの世の霊、奴隷の霊から解放されているだけでなく恐れを締め出す神の愛が与えられていること、神に愛されていることを忘れないようにしようではありませんか。