今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。(詩篇20篇6節ー7節)

1.ルカの福音書10章17節ー20節
2. 使徒の働き3章1節ー16節
3.使徒の働き4章10節ー12節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー11節 

今日の聖句は「今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。」と語っています。油そそがれた方はイエス様でありご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と仰せられたように復活をもって栄光を現されたのでした。ところでパウロは「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に注がれました。(コリント人への手紙第二1章21節ー22節)」と語っているように、キリスト者はイエス様同様油をそそがれた者であることを、何よりも主の御名をもって祈ることができる特権が与えられていることを、主の御名以外に救う力がないことを今こそ知った者として生きるようにしようではありませんか。。