あなたがたといっしょにいた時の私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵に支えられず、神の力にささえられるためでした。(コリント人への手紙第一2章4節ー5節)
1.ルカの福音書22章20節ー32節
2. 使徒の働き1章3節ー8節
3. 使徒の働き2章1節ー39節
4.ペテロの手紙第一1章5節ー21節
パウロは「コリントの教会に行った時の状態を驚くべきことに「あなたがたといっしょにいた時の私は、弱く、恐れおののいていました。」と告白していますが、その理由を「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」ということばに見ることができるのではないでしょうか。パウロは「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ人への手紙8章6節ー7節)」と、肉の思いがいかに強いものであるのかを知っておられたのでした。ですから、パウロは「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵に支えられず、神の力にささえられるためでした。」と、宣教の働きは、イエス様が弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられたように、御霊によるものであり、ペテロも語っているように信仰は神にかかっていることを示されたのでした。今信仰が与えられていることを喜び、主を誉めたたえて生きようではありませんか。