主もあなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。(コリント人への手紙第一1章8節)
1.ローマ人への手紙8章27節ー39節
2.ピリピ人への手紙1章1節ー11節
3.テサロニケへの手紙第一5章23節ー24節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー21節
パウロは「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。」と、その理由を「というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。」と、あげていますが、その根源となるのは神の恵みによるものであることを示唆してから「主もあなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」と、主のお働きを強調しておられるのは、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言って中割れした状態があったからではないでしょうか。ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。(ルカの福音書22章33節)」と豪語しましたが結局イエス様を三度知らないと否定して挫折した経験から信仰と希望は神にかかっている、と語ったのでした。自分を誇ったり、自分の考えに固執することなく、すべては恵みによって与えられていることを、主が最後まで私たちを御手の中にしっかりに保っていてくださることを忘れないようにしようではありませんか。