にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。(マタイの福音書7章15節ー16節)

1.マタイの福音書13章24節ー43節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節ー24節
3.ペテロの手紙第二1章18節ー2章3節
4.ヨハネの手紙第一2章18節ー29節

ヨハネが「小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。(ヨハネの手紙第一2章18節ー19節)」と語っているようにキリスト教と名乗りながら、イエス様を神と認めないエホバの証人や統一教会、モルモン教だけでなく、さまざまな異端がキリスト教界の中に見られます。イエス様は「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。」と、仰せられました。見かけは敬虔そうでもイエス様との関係が正しくないのであれば、聖霊の実をつけることはできないばかりか、洗脳され、自由を奪われてしまうのではないでしょうか。イエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」と仰せられました。信仰も聖霊もキリストによって与えられ、自己中心から解放され、この世の知らない御霊の実を、平安の義の実を結ぶ人生へと導いてくださる信仰の完成者であるキリストにいつもとどまるように気をつけようではありませんか。