そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙第一2章1節)

1.サムエル記第一12章19節ー25節
2.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
3.テサロニケへの手紙5章15節ー18節
4.ヨハネの手紙第一5章14節ー17節

イエス様の生涯を見ると、バプテスマを受けられ時に祈っておられただけでなく、悪魔の試みを受けるために御霊に導かれて荒野に上って行かれ四十日四十夜断食されただけでなく、度々祈られ、十字架にかけられながらも「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなして祈られたように、祈りの生涯を全うされたのでした。ところでペテロは「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」と、キリスト者にはイエス様がどのようなことをしてくださったのかを人々にお分ちするだけでなく、祭司の務めがあることを語っています。最初の殉教者であるステパノはひざまずいて「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。(使徒の働き7章60節)」と、とりなして祈られたのでした。神であり、大祭司とされたイエス様は私たちのためにとりなして祈っていてくださるのです。サムエルは「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」と語っています。パウロが「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」と、勧めているように人々の救いのために、石破総理、石破内閣のためにとりなして祈ろうではありませんか。