人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。(箴言18章12節)

1.ヨシュア記7章2節ー5節
2.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
3.ヤコブの手紙4章1節ー10節
4.ペテロの手紙第一5章3節-10節

エレミヤ書9章23節ー24節に「主はこう仰られる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわ者はを誇るな、富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御つげ。」と、主は何を人は誇るべきか教えてくださっています。主が誇らないように注意されている共通の問題点は「自分の知恵」「自分の強さ」「は「自分の富」と指摘されているように神を考慮せず「自分」に重点を置いている点であり、それは高慢への窓口になるのではないでしょうか。一方、主は「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」と勧めています。主がどのような方なのかを知るなら、ペテロが夜通し働いても何一つ取れなかったのに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われたイエス様のことば通りにすると舟が沈みそうになるほどの収穫があったので、イエス様の足もとにひれ伏して「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と申し上げたように(ルカの福音書5章3節ー10節)、高慢な態度をとることはできずにおのずと謙遜になるのではないでしょうか。謙遜は他者と比較して卑下することではなく、神と自分との関係において培われるものであり、自分を卑下しておられる方は往々にして相手によって高慢な態度をとってしまうことがあるのではないでしょうか。アイでの戦いに臨んだ民はエリコの戦いで勝利したあと、今日の聖句が語っているように、高慢になって敗北をい経験しました(ヨシュア記7章3節)。自分を低くされたペテロに主は「「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」と仰せられたのでした。パウロは「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と語っています。高慢にならないように、恵みによって救われていること、主がどのような方なのかを忘れないようにしようではありませんか。