多くの者は言っています。「だれかわれわれ に良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。(詩篇4章6節)

1.民数記6章22節ー26節
2.歴代誌第二7章13節ー14節
3.ローマ人への手紙12章2節ー3節
4.テモテへの手紙第一6章6節ー19節

悪魔はイエス様を非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」と試みましたが、イエス様は「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」とサタンの誘惑に対してみことばをもって対処され勝利されたのでした。ヨハネの手紙第一2章15節ー16節が「世をも、世にあるものをも、愛してはいけません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」と、パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい(ローマ人への手紙12章2節)」と、この世に生きている限り、この世の物質は必要ですが、創造者なる神を考慮しない生き方に同調しないように生きるために必要な心のあり方をも語っています。ですから、ダビデは「多くの者は言っています。『だれかわれわれ に良い目を見せてくれないものか。』主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。」と祈っておられるのではないでしょうか。、神の栄光がどのようなものであるかをキリストによって知る者とされているだけでなく、主の栄光を反映させながら生きるために、「主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。」と祈るとともに、御顔の光の中を歩むために(詩篇89篇15節)、世の光として輝くためにいのちのみことばをしっかり握って歩むように心がけようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。