神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)
1.ヨハネの福音書1章9節ー13節
2. ローマ人への手紙8章19節ー24節
3.エペソ人への手紙1章3節ー12節
4.ピリピ人への手紙4章9節ー13節
イエス様はご自分のことを一粒の麦にたとえられてから、ご自分がエルサレムでどのような目に会うのかをご存じでしたので、「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると、神が「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と、仰られたように、復活をもって栄光を現されたのでした。祭司長や長老たちはイエス様を妬み、群衆を扇動してイエス様を十字架の刑に服させて殺しましたが、それは、罪人を救うためのご計画であったのでした。私たちも考えたことがないような試練に会うことがありますが、ユダヤ人から迫害されただけでなく同じ主を信じるキリスト者からさげすまされるような経験をしたパウロは「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」と、人智では理解できない神の働きについて語っていますが、それはまさしくイエス様が経験されたことを踏まえてのことではないでしょうか。死があってこそ復活が可能となったのです。ヘブル人への手紙12章2節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めてから4節ー12節において、私たちが平安な義の実を結ぶために主は訓練されることを語っています。主と同じように神の栄光を現す者とされていることを忘れず、パウロが「私たちは知っています。」と語っている「私たち」のひとりとして生きるようにイエス様の生涯を思いつつ生きようではありませんか。