義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)
1.イザヤ書9章6節ー7節
2.マタイの福音書6章27節ー34節
3.ローマ人への手紙4章19節ー5章1節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー9 節
パウロはキリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らなかった時には、律法による自分の義に生き、激しい怒りに燃えてキリスト者を、教会を迫害していたように、自分こそ正しいというような思いによる自分の義は平和をもたらすよりも不和をもたらしたり、敵意をもたらすような肉の行いに走らせるのではないでしょうか(ガラテヤ人への手紙5章18節ー21節)。今日の聖句が「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と語ってりるように、神の義は罪人を救うために人としてこの世に遣わされた「平和の君」と呼ばれる御子イエス様によってはっきりと示されただけでなく、とこしえの平穏と信頼をもたらしてくださったのでした。イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)。と仰せられてから、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」と勧告されただけでなく、十字架上で人々のためにとりなして祈られその生き方を示されたのでした。ヘブル人への手紙12章14節に「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」とありますが、その意味を履き違えないようにすることが大切と思います。キリスト者は天国が保障されていますから、やがて主を見ることになりますが、この世で主を見る生活をするために、神の義をいただいていることを忘れずに信仰の完成者であられるイエス様から目を離さないようにしようではありませんか。