あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。(詩篇18篇27節)

1.出エジプト記3章7節ー22節
2.ダニエル書4章20節ー37節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
4.ヤコブ書4章1節ー10節 

大軍が攻めてくることを知らされたヨシャパテは、「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と素直に弱さを告白すると、主は「気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」と仰せられ、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美すると、主は伏兵を設けて勝利を与えられたのでした(歴代誌第二20章1節ー24節)。一方ネブカデネザル王が「この大バビロンは、私の権力によって王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」と高ぶった途端、彼はホームレスになったのですが、やがて、主をほめたたえて「そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をヘリぐだった者とさえる」と告白し、真の礼拝者、賛美者になったのでした。今日の聖句「あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。」は、神がどのような方であるのかを語っています。主はあわれみ深い方であるとともに不可能なことのない方ですから、どんな状況下にあっても救うことのできる方であるだけでなく、ネブカデネザル王の記事を見ても分かるように、主のを考慮しないで高ぶってしまうことがあると低くされますが、そこには主が信仰の深みに導き、真の賛美者に変えようとしておられる意図があるのではないでしょうか。低くされることをも、落ち込むのではなく、かえって、愛されているがゆえであることを(ヘブル人への手紙12章6 節)感謝しようではありませんか。