もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな、神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを取り去らなかった。(詩篇66篇18節ー20節)

1.サムエル記第一30章1節ー20節
2.エゼキエル書18章20節ー32節
3.ルカの福音書18章9節ー14節
4.ローマ人への手紙5章20節ー21節

イスラエルの民は神がどんな偉大な方なのかを体験しながらもモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。」と言ったので、アロンは彼らの金のイヤリングから金の子牛を造るような事をして罪を犯したように、ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。」と語っているように、私たちも多くの間違いをしますが、エゼキエル書18章31節ー32節は「あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜあなたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。ー神である主の御告げーだから、悔い改めて、生きよ。」と神の御心を語っています。ヨハネの手紙第一5章14節ー15節に「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たしの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」とあります。ですから今日の聖句は「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな、神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを取り去らなかった。」と語っているのではないcでしょうか。ペテロが三度イエス様のことを知らないということをご存知で彼の信仰がなくならないようにイエス様は祈られたように、私たちのためにとりなして祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられるイエス様は私たちの祈りをお聞きくださることを感謝して素直な心で祈ろうではありませんか。