あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネの福音書17章18節)

1.ヨハネの福音書6章38節ー40節
2.ヨハネの福音書15章16節
3. ローマ人への手紙11章25節ー12章2節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー7節 

イエス様は十字架にかけられる前に、神がキリストの者を守ってくださるように祈られてから、「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」と祈られたように、弟子たちだけでなくすべてのキリスト者は、父がイエス様を遣わされたように、イエス様によってこの世の遣わされているのです。イエス様が「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。(ヨハネの福音書6章38節)」と仰せられ、一粒の麦にご自身を例えられ、ゲッセマネにおいても「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章35節)」と祈られご自身を聖別され「十字架の死にいたるまで従われたのでした。キリスト者はイエス様によってこの世に遣わされているということは、パウロが「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と勧めているように、イエス様と同じようにこの世と妥協して生きるのではなく、自分のこころではなく主が仰せられたように互いに神の愛で愛しあう、すなわちイエス様が私たちを赦してくださったように互いに赦し合い、イエス様がとりなして祈られたように人々が救われるためにとりなして祈ろうではありませんか。