結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節ー14節)

1.サムエル記第一17章32節ー30節
2.ネヘミヤ書5章1節ー15節 
3.エレミヤ書9章23節ー24節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー16節

イエス様は「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがに必要なものを知っておられるので、世の人々と同じような祈り方をしないように話されてからいわゆる主の祈りを教えてから、「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えることはできません。」と忠告されてから、「あなたがたうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しても延ばすことができますか。」と現実的なことを提示してから、再び、天の父は世の人々が求めているようなものがキリスト者に必要なことは知っておられることを話されてから。神の国とその義とをまず第一に求めるなら必要なものはすべて与えられることを約束されたのでした。ネヘミヤは「私の前任の総督たちは民の負担を重くし、民からパンとぶどう酒のために取り立て、そのうえ、銀四十シェケルを取った。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。(ネヘミヤ記5章15節)」と語っているように神を知っているだけでなく神を恐れる、すなわち神がどんな偉大な方であるのかを認識しているかどうかによって日常生活の在り方が違ってくるのではないでしょうか。神から知恵の心と判断する心をいただいてこの世のあらゆる分野を究極まで探求したソロモンの助言「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」を心に据えて、主が喜ばれるように、私たちを育成することのできる恵のみことばを、世の光として輝くためにいのちのみことばをしっかりに握って生きるようにしようではありませんか(使徒の働き20章32節、ピリピ人への手紙2章16節)。