いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章63節)

1.ヨハネの福音書3章1節ー15節
2.ヨハネの福音書6章32節ー35節及び47節ー48節
3.ヨハネの福音書10章9節ー18節
4.テモテへの手紙3章16節ー17節

イエス様が「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と仰せられると、ユダヤ人たちや弟子たちはその真意をイエス様に問うことなく論じ合ったり、「これはひどいことがだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」とつぶやいたので、イエス様は「 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」と話されたのですが、多くの弟子たちもイエス様に尋ねることなくイエス様から離れたのでした。かつてカッパブックスの「ユングの精神分析」を読んだ時、驚いたのはその著者が「聖書に『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイの福音書7章12節)』とありますが、価値観や好みが同じようでないなら、相手の人にとって迷惑になることがありますから、聖書のことばはそのままでは足らないのです。」と、霊的な意味をとらえることがなく書いていました。イエス様が「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」と言われたのは、例えば「赦し」など、霊的なことを語っているのですが、そのことが理解できないのは残念です。いつかその方がイエス様を信じて聖書の素晴らしさを書いて欲しいと思っています。聖霊によって書かれたいのちのみことば、真理のみことばをしっかりに握って生きるようにしようではありませんか。