私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。(コリント人への手紙第一9章26節)
1.ピリピ人への手紙3章1節―16節
2.テモテへの手紙第二4章7節―8節
3.ヘブル人への手紙11章1節―16節
4.ペテロの手紙第一1章3節―7節
パウロは「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また競技をする者は、あらゆることに自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」と語ってから「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」と、証されていますが、そこにはキリスト者に与えられるものがどのようなものであるか、どのように生きるべきかをも示唆しておられるのではないでしょうか。パウロは「私がキリストを見習っているように、あなたがたも私を見習ってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」「兄弟たち、私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに目を留めてください。」と語ってから、死によって効力を失ってしまうようなこの世の国籍ではなく「私たちの国籍は天にあります。」と(ピリピ人への手紙3章17節及び20節)決勝点について語っています。永遠の御国に属する者であることを、義の栄冠が用意されている(テモテへの手紙第二4章8節)ことを心に据えて試練に会っている時、目的地を見失わないように生きようではありませんか。