もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。私のうちで、思い煩いがますときに、あなたの慰めが、わたしのたましいを喜ばしてくださいますように。(詩篇94篇18節ー19節)
1.詩篇18篇30節ー36節
2.詩篇119篇41節ー50節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.テサロニケへの手紙第二2章16節ー17節
今日の聖句は、「もしも私が」今ではなく、将来経験することを想定して、「『私の足はよろけています』と言ったとすれば、『主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように』」と、「足がよろける」、すなわちつまずいたり、倒れそうになった時には恵みが必要であることを語っています。恵みとまことに満ちておられ、それを実現してくださったイエス様、パウロが「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(エペソ人への手紙20章32節)」と語っているように、主ご自身と恵みのみことばに目を留めてこの世にあって御国の民とされていることを自覚することによってしっかり立つことができることを示唆しているのではないでしょうか。そして「『私のうちで、思い煩いがますときに、あなたの慰めが、わたしのたましいを喜ばしてくださいますように』」と、人ではなく神の慰めを求めています。人の慰めは感情による一時的なもので同情で終わってしまい、問題の解決や喜び、力を与えることはできませんが、神の慰めは永遠に変わることのない神の約束を語っているみことばによるものであり、主がすべてをご存知で、今はわからなくても主の時に主が益としてくださる、という信仰に向かわせてくださり、主がどのように栄光を現されるのかを期待する喜びを与えてくださるのではないでしょうか。喜ばしい状態でない時、私たちに必要なのは、主の恵みと慰めであることを忘れずに、主ご自身と恵みのみことばに目を留めるようにしようではありませんか。