主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。(ピリピ人への手紙3章1節)

1.詩篇98篇1節ー8節
2.ヨハネの福音書15章4節ー11節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節 

パウロはピリピにいるすべてのキリスト者のために祈るとき、いつも喜びをもって祈っておられることをピリピの手紙の冒頭の挨拶に語っています(ピリピ人への手紙1章1節ー4節)。パウロは「主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。」と彼の書簡にはたびたびキリスト者が喜んで生きるように勧告していますが、そこには、単に喜びなさいと勧めているのではなく「主にあって」と、主のことを思って喜ぶように勧めています。この世が与えることのできる喜びは状況が変化すると一瞬のうちに悲しみや苦しみに変わってしまうようなもろいものですが、イエス様は「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。」と、本来は喜ぶことができないような状況下にあっても喜ぶことができる秘訣を教えられたのでした。ですから使徒たちは迫害されむちで撃たれたり、イエスの名によって語ってはならないと脅されたりしましたが、彼らは、御名のためにはづかしめられるに値する者とされたことを喜んだのでした(使徒の働き5章40節ー41節)。パウロは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)」と勧めています。問題を見るのではなく、私たちのことを私たちの弱さを私たち自身よりもよくご存知で。私たちの願いを聞き、助けてくださる主がどんな時にも見捨てることなく、いつも気にかけてくださっていることを喜んで生きようではありませんか。