人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値打ちをはかられる。(箴言21章2節)
1.サムエル記第一16章6節ー13節
2.箴言16章1節ー3節
3.マタイの福音書15章1節ー9節
4.ヨハネの福音書15章24節ー16章3節
パリサイ人であったパウロは律法による自分の義に生き、今日の聖句が「人は自分の道はみな正しいと思う。」と語っているように、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてステパノを殺すことに賛成し、キリスト者を迫害するために国外にまで出かけていくようなことをしていたのでした。しかし、ダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いたパウロが「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」と言われたのでした。主はアナニヤをパウロのもとに遣わされたのでした。バプテスマを受けキリスト者になったパウロは使徒としての働きをされ、迫害していた者が迫害される者となりましたが、主は彼の心をご存知であったからではないでしょうか。主はサムエルに対して「人はうわべを見るが、主は心を見る。(サムエル記第一16章7節)」と仰られました。今日の聖句「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値打ちをはかられる。」を心に据えて、自分が正しいと思い込むよりも、パウロが「何事も自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけでなく、他の人のことも顧なさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちに見られる者です。(ピリピ人への手紙2章3節ー5節)」と勧めているように、すべての人の心を見ておられる主が喜ばれるような生き方をするようにしようではありませんか。