幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。(詩篇40篇4節)
1.詩篇1篇1節ー3節
2.詩篇84篇10節ー12節
3.イザヤ書26章3節ー12節
4.マタイの福音書4章23節ー5章12節
人は幸いな人生を歩みたいと願いますが、その願いは往々にしてこの世が与えることができるものを手にすることによって成し遂げられるかのように思われがちですが、ヨハネの手紙第一2章16節が「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」と語っているように、その根底にあるのは「欲」であり、欲に支配されると、富を得た時に高ぶったり、今話題になっているBigモーターズのように、利益をあげるために偽ってしまうなどさまざまな弊害が伴ってしまうのではないでしょうか。今日の聖句は「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」と、「幸いなこと」とは状況や環境が中心課題ではなく、「その人は」と語っているように、どのような人が幸いを手にしているかが語られているのではないでしょうか。イエスさまはいわゆる「山上の垂訓」においてどのような方が幸いなのかを語っている内容を見ると、それはすべて霊的なものであり、「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたは幸いです。」と驚くべきことを発言されてから「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。」とその理由を語っておられます。それはまさしく十字架にかけらたイエス様のお姿に見られるのではないでしょうか。幸いな人生をおくるために、どんな時にも私たちの失敗さえも主の手に委ねるなら、それを益に変えてくださる主を信頼して生きようではありませんか。