私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3章41節)

1.出エジプト記17章11節ー16節
2. 詩篇28篇2節ー8節
3.詩篇134篇1節ー3節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー8節

一般的に「手を上げる」という行為は、強い相手に対して降参することや怒りを覚えて相手を殴ろうとする時など他者との関係の中で行われる行為を意味するのですが、実は手を上げる前に心の在り方に問題が起きているのではないでしょうか。手は多くの働きをしますが、その働きを導くのは心ではないでしょう。ネヘミヤ記8章6節に「エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、『アーメン、アーメン。』と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝した。」とあるように、ユダヤ人にとって手を上げるとは、主をほめたたえることであり主の前に心へりくだって礼拝することを意味していたのではないでしょうか。イエス様は「救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝しています。あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネの福音書4章22節ー24節)」と仰せられました。今日の聖句は「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と勧めています。心が元気を失ったり、疲れ果てている時、死からよみがえられ天に座しておられる勝利の主を仰ぎて、主に向かって祈りの手を、救われていることを感謝して喜びの手を上げて主をほめたたえようではありませんか。