義のいけにえをささげ、主に拠りたのめ。(詩篇4篇5節)
1.箴言3章3節ー7節
2.ルカの福音書18章9節ー14節
3.ローマ人への手紙10章1節ー13節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と仰せになられましたが、律法学者やパリサイ人たちは義人と自任し他者を見下すような生き方(ルカの福音書18章9節)、すなわち神から与えられる義ではなく自分の義に生きていたのでした。パリサイ人として生きていた時サウロとも呼ばれていたパウロは律法による自分の義に生きていた時には自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と言われるとともに、キリストの証人として遣わされることを告げられたのでした(使徒の働き26章9節ー20節)。神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「義にすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。(口語訳、伝道者の書7章16節)」と、自分の義や自分の知恵に生きないように助言しています。「義のいけにえをささげ、主に拠りたのめ。」と勧めているように、義のいけにえ、すなわち、高ぶりを招く「自分の義」、すなわち自分こそ正しいと考えて自分に固執して、自分の考えや自分の思いを押し通そうとするのではなく、義なるお方は主であり、主はすべてをご存知であること、どんなことも益としてくだる主を信頼して生きようではありませんか。