助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節)
1.詩篇139篇1節ー16節
2.エゼキエル書36章25節ー27節
3.使徒の働き2章1節ー40節
4.ローマ人への手紙7章18節ー8章16節
イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したことを思い起こさせてくださいます。」と話されるとともに、「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがもはやわたしを見なくなるからです。(ヨハネの福音書16章8節ー9節)」と、その方、すなわち聖霊様のお働きを教えてくださっています。聖霊に満たされたペテロは大胆に福音を語りました。一方、パウロはパリサイ人として自分の義に生きていた時には罪意識がなく、自分の考えで物事を判断して行動しキリスト者を迫害していましたが、キリスト者となり聖霊が与えられたパウロは自分のうちに罪があることに目覚めさせられるとともに自分のみじめさをも思わされて嘆きましたが、「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたがたを解放したからです。」と語るとともに、「主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」という確信を持ったのでした(ローマ人への手紙8章32節ー39節)。すべてのキリスト者に聖霊は与えられていますので、パウロのように罪を示されることがありますが、それは自分で自分を裁くためではなく、高ぶらないように導くとともに神の恵みと神の愛の深さを知るように聖霊様が導いてくださっているのではないでしょうか。パウロと同じ確信をもって生きようではありませんか。