ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむばきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。エッセイの子ダビデの祈りは終わった。(詩篇72篇18節ー19節)

1.ネヘミヤ記9章1節ー17節
2.イザヤ書44章1節ー23節
3.ヨハネの福音書15章24節ー16章14節
4.コリント人への手紙第一2章7節ー9節 

パウロは「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」と、語っていますが、偉人ややさまざまな像を造って神として拝む根底にあるのは、人は神によって創造されたために神の存在を潜在的に知っているからではないでしょうか。かつて堺市の教会に伺った時、牧師先生から、ご高齢ながら受洗された女性を紹介されました。その姉妹にクリスチャンになられた過程を伺ったところ、笑みを浮かべて「孫がクリスチャンになったので、『あなたの信じている神様はどんな神様』と尋ねたら、『私の信じている神様は人間を世話してくださる方。』と言ったので、旧家に嫁いで今まで何十年も仏様や神様のお世話をしてきたけれど、これからは私も神様のお世話になろうと思い、礼拝に集ううちにイエス様のことを知って洗礼を受けることにしたのです。」と話してくださいました。今日の聖句「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。」は、さまざまなことを経験したダビデの祈りですが、私たちも罪の赦しを与えられるだけでなく復活をもって現された主の栄光が日本だけでなく全世界に臨むように、世界規模のリバイバルを祈ろうではありませんか。