人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。(箴言19章11節)

1.サムエル記第二16章5節ー14節
2.サムエル記第二19章9節ー23節
3. 詩篇37篇1節ー13節
4.119篇97節ー103篇

サウル王はダビデを非常に愛して自分の道具持ちとし(サムエル記第一16章21節)、ゴリアテを倒すとダビデを召しかかえ、戦士たちの長としたのですが、ペリシテ人との戦いに勝利して帰還すると女性たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」とくり返し歌っているのを聞いたサウルは非常に怒り、不満に思って「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と言い、その日以来、ダビデを疑いの目で見るようになりダビデを殺害することが彼の目的となってしまったのでした。今日の聖句は「人に思慮があれば、怒りをおそくする。」と語っています。もしサウルが、自分には素晴らしい家来がいることを喜び誇りに思ったなら、怒らずにすんだと思いますが、それ以前に彼は神を知らない者のように分を超えて祭司でないのに全焼のいけにえをささげたり(サムエル記第一13章8節ー10節)、主の御声に聞き従わなかっただけでなく、その責任を民に責任転嫁するようなことをしたのでした(サムエル記第一15章1節ー21節)。サウルは肉の行いに走ってしまったのでした(ガラテヤ人への手紙5章19節ー20節)。教会を迫害していたパウロのように自分の義に生きていると自分の考えに合わない人を赦すことができず、怒ってしまうのではないでしょうか。キリスト者になったパウロは「怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。・・・必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」と勧めてから「神がキリストにあって赦してくださったように互いに赦し合いなさい。」と具体的に話されました。ダビデは恵みを知っておられたので、シムイからののしられても神を信頼し恵みを与えたのでした。今日の聖句に生きるために、神がどのような方であり、どのようなことをしてくださったかを忘れずに生きようではありませんか。