知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。(詩篇107篇43節)
1.ヨハネの福音書5章19節ー24節
2.コリント人への手紙第一1章718節ー25節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー21節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節
今日の聖句の前句において、主はどのような方であるかを語ってから33節ー41節において「主は川を荒野に、水のわき上がる所を潤いのない地に、肥沃な地を不毛の地に変えられる。その住民の悪のために。主は荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変え、そこに飢えた者を住まわせる。。彼らは住むべき町を堅く建て、畑に種を蒔き、ぶどう畑を作り、豊かな実りを得る。主が祝福されると、彼らは大いにふえ、主はその家畜を減らされない。彼らが、しいたげとわざわいと悲しみによって、数が減り、またうなだれるとき、主は君主たちをさげすみ、道なき荒れ地に彼らをさまよわせる。しかし、貧しい者を悩みから高く上げ、その一族を羊の群れのようにされる。」と、さまざまな状況を変えることのできる方であることを語ってから「知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。」と、状況を変えることのできる主を、主の恵みがどのようなものであるかを理解することこそ知恵のある者であることを語っているのではないでしょうか。パウロが「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。(コリント人への手紙第一15章9節ー10節)」と告白しているように、迫害していた人が教会を建て上げる人に変えられ、この世の知恵の愚かさを語りました(コリント人への手紙第一1章21節)。死後、神の裁きや永遠の死、すなわち罪を犯したために地獄で昼も夜も苦しみ続けながら永遠に生き続けるような状態から救うことができるのは人の知恵ではなく主の恵みしかないことを、恵みの力がどれほどのものであるのか知る者として生きようではありませんか。