見よ。神は私の救い。私は信頼して恐ることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。(イザヤ書12章2節ー3節)

1.詩篇13篇5節ー6節
2.イザヤ書25章7節ー9節
3.コリント人への手紙第一4章15節ー18節)
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節

今日の聖句の中にある「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」は、「マイム マイム マイム ベッサソン」という歌で、エジプトから贖われ荒野を旅することを記念とした仮庵の祭りの最後の日にシロアムの池から水を汲んでエルサレムの神殿に持って行き、祭壇に水を注ぐとき、人々が歌ったようです。祭壇のある神殿の庭には祭司だけが入れる聖域ですが、祭りの最後の日は女性や子どもにも開放されたので人々は喜んで行進したようです。ところで、興味深いことに、イエス様はその祭りの日の終わりの大いなる日に「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と仰られたのでした(ヨハネの福音書7章37節ー38節)。エジプトから贖われても約束の地に入るまで民は荒野を旅しなければなりませんでしたが、主は民の必要を満たされ、約束の地に招き入れられたのでした。キリスト者には永遠のいのちが、天国が約束されていますが、世の人々と同じように弱さを覚えたり、思い煩ったりしますが、そんな時、パウロが「今の時の患難は、私たちのうちに働いて、計り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつも続くからです。」と、今日の聖句が語っているように、目には見えませんが、天に座しておられる主がどのような方であるかを、救われていることを思い起こし、救われていることを喜ぼうではありませんか。