あなた方に新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネの福音書13 章34 節ー35節)

1.マタイの福音書28章18節ー20節
2.ヨハネの福音書13章1節ー15節
3.ヨハネの福音書15章9節ー12節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー13節

イエス様は弟子たちに「あなた方に新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」と、キリストの弟子として生きるため道は互いに愛し合うことであり、しかもそれはイエス様が弟子たちを愛したように愛することであることを話されましたがそこに使われているギリシャ語はアガパオ、すなわち神の愛を意味しています。ところで、神の愛は聖霊によって心に注がれるために(ローマ人への手紙5章5節)イエス様は昇天される前、弟子たちに「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」と仰せられたのではないでしょうか。ところで、イエス様は弟子たちに「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」とも仰せられましたが、そこには、全てのキリスト者がキリストの弟子になって欲しいという主の願いが込められているのではないでしょうか。神の愛は十字架で示されたように赦しであることを心に据えて、パウロが「お互いに親切にし、優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4章32節)」と勧めておられるように、イエス様にとりなしていただいていることを忘れずに、心に注がれている神の愛を消してしまうようなことをしないで互いに赦し合うために、主が喜ばれる弟子になれるためにうめきによってとりなしていてくださり神の愛を注いでくださる聖霊様に助けていただこうではありませんか。