神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができなしい。(伝道者の書3章11節)
1.使徒の働き1章3節ー7節
2.ローマ人への手紙8章27節ー28節
3.テモテへの手紙第一 2章4節ー7節
4.ペテロの手紙第二3章3節ー10節
ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。」と、」と、「天の下」、すなわち「この世」では時の流れの中で人が死ぬまでに経験する両極端の出来事を語ると共に「働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と語っています。ところで、労苦はアダムが罪を犯したことによるものでした。アダムとエバは善悪の知識の木から取って食べたことによって自分たちが裸であるのを知り、自分たちの考えで、いちじくの葉をつづり合わせて腰のおおいを作ったのですが、葉はガサガサしていてザラザラしているもので心地よいものではなく、すぐに枯れてしまいます。しかし、神は彼らのために皮の衣を作って着せてくださったのでした。確かに人は自分で色々考えて様々なことを決断して生活していますが、生まれる時や場所を自分で選んで生まれたわけでなく、死ぬ時もいつなのか、その上、神が永遠を与えておられるので死後どうなるのかを人の知恵によって知ることはできません。ですから、「人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と語っているのではないでしょうか。人にできることは、すべてのことを美しくしてくださる神を信じ、神の時があることを忘れずに、日々私たちの重荷を負ってくださる主を誉めたたえようではありませんか。