神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(テモテへの手紙第一2章4節ー5節)
1.イザヤ書8章19節ー9章7節
2.イザヤ書53章1節ー12節
3.ヨハネの福音書14章1節ー6節
4.エペソ人への手紙1章17節ー19節
前方には紅海、後方からはエジプト軍が迫っているのを見て非常に恐れて、イスラエルの民は主に向かって叫んだのですが、エジプトでどんなに苦しんでいたかを忘れ「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」とモーセに言ったので、モーセは「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」と勧告しました。神はモーセを用いられて海を分けて民が対岸に渡ると海を戻されたのでエジプト軍はひとり残らず溺死したのでした。その時、モーセと民は「主よ。神々のうち、だれがあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことが出来ましょうか。」と賛美したのですが、民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。」と言ったので、アロンは民の要求に応じて、彼らのつけていた金のイヤリングで金の子牛を造って偶像崇拝をしたのは、彼らが彼らの神は神々の中の一つという神概念を持っていたことにあるのではないでしょうか。多くの方は、キリスト教を様々な宗教の中の一つと考えておられるのではないでしょうか。そのような概念を持っていると神が唯一であることや神と人との仲介者は唯一でキリスト・イエスであるということを認めにくいのではないでしょうか。神は唯一で仲介者はイエス様しかいないことを知っているキリスト者であっても、思いもよらないことが起こると、イスラエルの民のように主に助けを求めながらも、つぶやいてしまうことがあるのではないでしょうか。そのような時、神が願っておられるように、神は唯一、すなわち神が主権者であること、イエス様がとりなしておられるので罪に定められることがなく、イエス様と同じように栄光の姿に変えられ天国で永遠に生きることができることを感謝して生きようではありませんか。